七章
 遼子はある森の中にいた。遼子の目の前にあるのは土盛と、石を立てただけの塚だった。
そこには干からびた菊があり、割られたグラスがあった。――墓、だろうか。
「優也」
 体の線にぴったりとし胸元を豪快に開けられた黒革の服を身にまとった遼子は一つのロ
ケットを取り出し、その墓に落とした。ふわりと風がその長い髪をさらう。水晶の髪飾り
が黒い髪の中で澄んだ輝きを放っている。
「これで、いいのか? 優也」
 そこに、その人がいるような柔らかな声だった。彼らがこの声を聴いたらどんな顔をす
るだろうか。今になってはめったやらに会えぬ人だ。
 小さな清酒のビンをあけて墓石にかけた。本来ならばやってはいけない事なのだが、こ
の際どうでもいい。あと少しで、彼女も夫の下に向かうのだから。
「都軌也が、悲しむだろうが、仕方のない。もう、立派な大人だ」
 本当は十五になったときに会いに行くつもりだった。だが、十二で父を失い、権力を持
つ者として親戚に利用され続けた子供はぎりぎりまで擦り切れていた。だから、あと、三
年待ってみる事にした。そうしたら、白空の妹である娘と組ませて、擦り切れた心を戻す
つもりだった。だが、白空が現れてしまった。あの二人を引き離す事は許さない。だから、
この身を壊されても、白空と決着をつけるつもりだった。
「神殺しなどして、何をしたいのやら。あの禍津霊は」
 意味がわからないなと言いたげにつぶやくと深くため息を吐いた。殺された神々をよみ
がえらせるために、自分の子供は何をするか、予想がついている。そのために、亡き夫が
どう動くかも。
「天狐と空狐か。二つが交われば、どんなことがおこるのだろうかな」
 天狐と空狐。似て比になるもの。天狐は空狐より、二千歳若い。だからといって、遼子
は天狐になって、空狐になったわけではなく、空狐の力を継ぐ、直系の空狐だ。その力は
先代の空狐が死に、受け継がれる。子供は、それのせいで、出来にくい。この体で、江戸
の世から歩いて、男とも何度も身を寄せた。だが、子供ができたのは優也だけだった。
  しかも、犬神の血を受け、どこかとも知れぬ陰陽師の血を受け、空狐の血を受けた、男
だった。いろんなものが混じった究極の混血児だが、それが女であれば力を受け入れられ
たのかもしれない。強大な陽の力を受ける陰の器として。だが、強大な陽の力に受け入れ
る器もまた陽だった。力に食われないかとひやひやしていたのだが、水神も、力を貸して
くれていた。死ぬ前に一度挨拶に行くかと思ってふっと笑った。
「願わくば、強き力に翻弄されぬ強い心を持つ子供になって欲しいが」
 次の世代の子供に思いを馳せて水神沼に向かった。
「ほう、空狐がここに何用だ」
 池の中心にある祠にすわり、長い足を組んだ寒そうな格好をした水神は泰然と笑った。
遼子もまた同じように笑ったが水神のほうが神格が高い。
「私の子供が世話になったのでな、それの挨拶だ」
「あの、藺藤の子か。藺藤であり空狐であるか。おもしろい」
「わが背も、貴方のところ参ったようで」
「来たな。よい男だった。礼儀をわきまえた類稀な術者であったがあれは死んだか?」
「ああ」
 うなずいてそっと水に触れた。流れてくる映像があった。
「これは?」
「土産として持っていけ。汝が子供が必要としているものだ」
「神をよみがえらせる、秘法か?」
「そうともいえる。とは言えども、空狐の神気を使える事が必須なのだが、もう、覚醒が
始まっている。急いだほうがよさそうだ」
 その言葉に遼子は目を細めた。元が整った顔ゆえに酷薄そうな雰囲気さえ漂う。
「心遣い、礼を言う。頼まれて欲しい事があるのだが?」
「ことによってだな」
「そうか。これをあの子に」
 遼子の手のひらにあったのは一つの勾玉だった。深い青の、美しい青玉の勾玉だった。
「水気に水気を重ねると」
「水は陰だからな。受け入れる器も力も陽ではね」
「陰を重ね調和しようと」
「そういうことだ。頼まれてくれるか?」
 水神はしばし黙考し冷たい笑みを浮かべた。青玉の勾玉は水に包まれ水神の元に向かっ
た。
「頼まれようじゃないか。くれぐれも、道を間違えるなよ。彼の世の道は複雑だ」
「言われずとも。お前ではないのだから道案内もいる」
 そういうと遼子は水神に背を向け、森を出て行った。風になびく黒く長い髪を押さえよ
うともせずに堂々とそこを去っていった。
「あれがあと数日でいなくなるとはな」
 その背を見送った水神はポツリとつぶやいた。手にある青玉を見て目を細めた。
 ――その青い石は静かに光っていた。

 
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